安打限定品から新作まで
連休後半は雨予報
病める時も健やかなる時も安打
僕はやっぱりこの視点で書きます。
プロに入ってからの活躍は皆さん知るところですので、入る前のお話です。
僕はこの号は伝説だと思ってますw
正面で腕組んでる近大の選手は二岡。その隣に居るのは上原です。
そして、二岡と上原の2人に挟まれる形で後ろに居るのが阿部慎之助。凄い面々ですよねw
今の大学野球のレベルが・・・と言ってしまうと、某球児に怒られそうですが、
プロでの活躍を見る限り、申し訳ないけれど、この頃の方がレベルは高かったと思ってます。
少子化にも関わらず、地方の大学が増え、色んな選手たちが分散してしまったことも、
原因の1つと考えていますが、どうでしょうか?
上の表示の画像で、(当時の大学球界で)あまりメジャーではない学校と言えば、
上原の大阪体育大学ぐらいで、あとは殆どが大学野球では名の知れた所ばかり。
そういう意味で言えば、「今は裾野が広がった」と考えたいですが、
それは選手たちの活躍があってこそで、例えば宇佐見とか、強烈なアピールが欲しい所です。
勿論、重信や山本などは言うまでもありません。
阿部の学生時代はシドニー五輪と重なっていました。
それと共に、プロアマの垣根が漸く取り払われようとする時代の大きな転換期でして、
巨人入団間もない頃の由伸が「オリンピックに出たい」と意思表示したのも、
言わばタブーに挑戦するような発言でした。
今でこそ、プロ参加の国際大会も当たり前になりましたけど、
この頃はまだペナントレースの方がはるかに格は上で、
あくまで五輪はアマチュアの大会という意識がまだ非常に根強く残っていた時代でした。
阿部がなぜベイスターズのシャツを?!
これはアマ選手強化策の一環として行われた、プロ野球キャンプ参加のワンシーンなんです。
阿部はベイスターズ宜野湾キャンプに参加しました。
そこで、谷繁捕手や山下大輔ヘッドコーチから非常に多くのことを学んだと言います。
実りのあるキャンプ参加だったそうです。
そんな凄い選手だったんですが、東都一部の通算記録として特筆すべきものは何も残っていません。
というのは、阿部が在籍していた当時の中大は殆どが二部でして、3年生の秋に漸く一部昇格。
野球は1人じゃ出来ないんですね。
後にドラフト1位で巨人に入団します。
でも、この頃を知る皆さんに伺いたいのですが、阿部の評価はそこまで高くなかったと記憶してます。
本当に捕手としてやれるのか?そもそも、そんなに凄い選手なのか?そんな感じだったと思います。
結局、シドニー五輪では中日の鈴木郁洋がマスクを被り、阿部は主にDHでの出場。
そこまで目立った活躍があったわけでもなく、決してインパクトは強くありませんでした。
巨人はどちらかと言うと、藤田太陽の獲得に最後まで拘っており、
阪神との逆指名争いに敗れた経緯がありました。勿論、捕手の強化も急務だったとはいえ、
斎藤・槙原の寿命が尽きかけ、桑田も峠を越しており、投手陣の補強を優先していたように思います。
大学球界トップだった山村路直と山田秋親も揃ってダイエーを逆指名。
そういう意味で、もし藤田太陽や山村・山田だったら・・・と思うとゾッとしますよね。
この辺もドラフトの妙味かもしれません。
加えて、それまでドラフトで指名していた捕手陣が総じて期待外れだったことも影響していましたね。
柳沢裕一(明大)、小田幸平(三菱重工神戸)ら即戦力級がモノにならず、
不信感を高めていたのもありました。
そういった状況の中で、長嶋監督最後の愛弟子としてスターダムにのし上がったのは、
並大抵の努力ではなかったと思います。改めて敬意を表したいです。